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東京地方裁判所 平成9年(ワ)23061号 判決

反訴原告

鈴木修

反訴被告

奥村則秀

主文

一  反訴被告は、反訴原告に対し、金六三一万四七六四円及びこれに対する平成七年二月一六日から支払済みまでの年五分の割合による金員を支払え。

二  反訴原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、一〇分の一を反訴被告の負担とし、その余を反訴原告の負担とする。

四  この判決は、反訴原告勝訴の部分について、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

反訴被告は、反訴原告に対し、金六〇一四万九八六六円及びこれに対する平成七年二月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、自動車が、渋滞で停車していた自動車の左後部に追突あるいは接触した事故について、被害車両の運転者が、加害車両の運転者に対し、損害賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実

1  事故の発生

次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した((五)を除いて争いがない)。

(一) 発生日時 平成七年二月一六日午前一一時五分ころ

(二) 事故現場 東京都世田谷区太子堂二丁目六番先

(三) 被害車両 反訴原告が運転していた事業用普通乗用自動車(品川五五く四七九七)

(四) 加害車両 反訴被告が所有し、かつ、運転していた自家用普通乗用自動車(横浜三三ね二七一九)

(五) 事故態様 被害車両が渋滞のために停車したところ、後方から進行してきた加害車両が、被害車両を回避しようと進行方向に向かって左側の車線に進路を変更したが、加害車両の右側面が、被害車両の後部左側に接触して衝突した(甲一~四、乙二四、二六の1・2、二七、反訴原告本人)。

2  事故後の治療経過

反訴原告は、本件事故後、次のとおり通院した((一)は争いがない。(二)について乙八、九、一一)。

(一) 田園調布中央病院

平成七年二月一八日から同年四月二七日(実日数二〇日)

(二) 国立東京第二病院

平成七年八月一〇日から平成九年一月一〇日(実日数四八日)

3  責任原因

反訴被告は、加害車両を保有し、自己のために運行の用に供していた(争いがない)。

したがって、自動車損害賠償保障法三条に基づき、反訴原告に生じた後記損害を賠償する責任がある。

4  既払

反訴原告は、自動車損害賠償責任保険から五五万五〇五四円、反訴被告から六〇万円の合計一一五万五〇五四円の支払を受けた(争いがない)。

二  争点

1  本件事故と相当因果関係のある治療

2  反訴原告の後遺障害の有無及び程度

3  寄与度減額の適否

4  反訴原告の損害額

第三争点に対する判断

一  反訴原告の負傷内容及び治療経過

証拠(甲一~四、五の1~5、六、七、九、一〇の1~7、乙一、四、五、七~一三、二一~二三、二七、反訴原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  被害車両はニッサンローレルのタクシーであり、加害車両は、BMW七五〇ALである。

被害車両は、本件事故により、後部バンパー等に、修理費用として一〇万〇二二四円を要する損傷を被った。また、加害車両は、右リアドアを中心に、修理費として六九万七二〇七円を要する損傷を被った。

2  反訴原告(昭和二四年一一月一二日生)は、平成七年二月一六日、午前七時から勤務した。後部に二名の乗客を乗車させ、同日午前一一時〇五分ころ本件事故に遭った。この事故は、警察において、物件事故として処理された。

反訴原告は、翌一七日午前四時まで、代車で勤務を続け、その後、乗客の様子を確認するためにその自宅を訪問し、同日のお昼ころに帰宅した。乗客に負傷はなかった。

3  反訴原告は、平成七年二月一八日、左側頸部痛などを訴え、田園調布中央病院において、健康保険を利用して診察治療を受けた。鍵反射は、四肢においてやや亢進していたが、四肢のしびれや筋萎縮はないなど神経学的異常所見はなかった。診察をした鈴木美医師の診断は、項部挫傷、左側頭部打撲であった。

レントゲン検査の結果、第五、第六椎間板の狭小化、骨棘形成、頸椎の生理的湾曲が認められたが、骨障は認められず、鈴木医師の意見では、これらは本件事故と因果関係はないとのことだった。

鈴木医師は、反訴原告に対し、ポリネック固定をするとともに、消炎鎮痛剤、筋弛緩薬などの投与や湿布を施し、低周波治療を行った。その結果、同年三月半ば過ぎころには圧痛が軽減してきたため、同年四月初めから復職したらどうかとの話になった。ところが、反訴原告は、仕事が運転業務であるため復帰に自信がない旨を訴えたため、もう少しリハビリ治療を続けることになった。反訴原告は、同年四月に入ってからは、同月五日までの間に四日間通院したが、その後は、同月二七日まで通院せず、同日、鈴木医師は治癒と診断した。

4  反訴原告は、その後も勤務に復帰はせず、平成七年八月九日、被告から損害賠償の内金として五〇万円の支払を受け、翌一〇日、頸部痛を訴えて、国立東京第二病院で診察を受けた。この時点では、四肢について、鍵反射は深部反射に左右差がなく、明らかな知覚障害はなかった。上肢のホフマン反射とトレムナー反射は、左右ともに陽性であったが、握力は左右ともに四三キログラムで筋力低下もなかった。また、頭痛や吐き気はなかった。

同月二二日には、MRI検査を行った結果、第五、第六頸椎の椎間板が狭小化(合体しているほどである。)して飛び出していることが発見されたが、外傷による変化ではなく、経年性の変化であった。

5  その後、平成七年一〇月ころから、左右ともに握力の低下が見られ(同月二七日において、右が一五キログラム、左が二一キログラム)、四肢にしびれが現れるようになった。反訴原告は、このころ、音が敏感になってきたため、耳栓を要するようになり、医師に対し、裁判所が交通事故に由来する症状であると決定したのに、反訴被告側はその決定に従った治療処置をしないと訴えることがあった。そして、同月二三日から生活保護による扶助を受けるようになった。

翌一一月には、ホフマン反射及びトレムナー反射が、いずれも、右が陰性で左が陽性となった。バビンスキー検査は陰性であった。また、反訴原告は、このころ、下痢状態を訴えていた。国立東京第二病院の石橋徹医師は、この時点で、東京都世田谷区玉川福祉事務所に対し、頸部捻挫及び頸部脊椎症のために、就労不能であるとの意見を提出した。

反訴原告は、概ね月に三回程度の通院を続け、平成八年一月五日に筋電図検査を受けたが、明らかな所見はなかった。反訴原告の下痢は依然続き、睡眠障害が見られたので、精神神経用剤や睡眠剤も投与されていた。

6  反訴原告は、その後、概ねこれまでと同様の頻度で理学療法により治療を継続した。平成八年六月になっても、頸部熱感、難聴、右上下肢のしびれが認められ、握力も依然として低下したままだった(六月五日時点で、右が一四キログラム、左が二四キログラムであった。)。精神科の薬の投与も受けた。

このころ、石橋医師は、反訴原告の症状について、経年変化に頸部挫傷が加わったために多彩な訴えが出ており、賠償問題の解決が遅延していることも、症状の遷延化に影響していると考えていた。

反訴原告は、同月末ころには下肢がしびれて歩けなくなり、翌七月には、バス通院が困難になりそうであった。残尿感があるとのことで、泌尿器科で検査を受けたが、尿路に特別な障害はなかった。

同年九月になっても、四肢のしびれは続き、ホフマン反射及びトレムナー反射は、いずれも、右が陰性で左が陽性であった。バビンスキー検査は、陰性であった。反訴原告は、同年一〇月には、就寝中に右上肢がぴくぴく動くと訴え、依然、同様の状態が続いた。石橋医師は、翌一一月には、うつ状態であるとの診断もしている。

その結果、平成九年一月一〇日、石橋医師は、四肢のしびれ、握力の低下、頑固な下痢と便秘、頸椎の運動障害が残存し、常時頸部軟性コルセットの装用が必要であるとして、症状固定の診断をした。

7  反訴原告は、自賠責保険会社に対し、後遺障害について被害者請求をしたが、事故状況が軽微で事故直後は自覚症状がなかったこと、平成七年四月二八日から同年八月九日まで三か月以上の治療中断があり、事故後の症状が重篤なものではなかったと推認されること、画像により経年性変化は認められるが、外傷性の異常所見は認められないこと等を理由に、本件事故による症状と特定できず、非該当であるとの認定を受けた。

その後、異議申立てをしたが、またも非該当の認定であった。なお、反訴原告は、その際、石橋医師から説明を受け、頸椎症性変化に外傷による衝撃が加わり、症状が顕在化したとの趣旨の主張もしたが、右調査事務所は、時間的近接性が見られないから、そのような認定は困難であるとの意見であった。

8  石橋医師は、自賠責保険の異議申立てにおける調査に対し、頸椎部の運動障害が残存している原因は断定できず、反訴原告の病状が次第に悪化したことについても、医学的原因はよくわからないと回答している。また、四肢のしびれや握力低下が生じた原因については、頸部挫傷の際に当然起こることが予測される中枢神経、末梢神経及び血管への影響が、四肢のしびれなどを生じさせることはあり得るとの回答をしている。

石橋医師は、また、反訴原告訴訟代理人に対し、次のことも説明している。

患者の精神状態も症状を変化させるものであり、反訴被告から裁判を起こされた(本件に先立ち、平成七年九月一日に、反訴被告から反訴原告に対し、債務不存在確認訴訟が提起されている。)ことが精神的な負担となり、それが症状に悪影響を与えたと判断できる。なお、反訴原告が次第に訴えるようになった症状には、客観的に把握できる症状よりも強いものがある。田園調布中央病院の治癒の診断の妥当性は何ともいえないが、反訴原告は、治癒と診断された後の症状は残存していたし、本件事故以外に衝撃を受けるような原因はないと説明するので、いったん治癒したものが再発したのではなく、治癒の診断後も症状は続いていたと考えられる。

9  反訴原告は、その後も、症状は改善せず、コルセットを常用している。また、箸を使うことができずにフォークとスプーンで食事している。日常生活上の最低限のことは自分でしているが、まったく働くことができない状態が続いている。

以上の事実が認められ、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

二  本件事故と相当因果関係のある治療について

1  反訴原告の田園調布中央病院での治療が、本件事故と相当因果関係があることは争いがない。

2  そこで、一で認定した事実を前提にして、国立東京第二病院での治療について判断する。

(一) 国立東京第二病院での治療開始について

国立東京第二病院での治療は、田園調布中央病院での治癒との診断から、約三か月半を経過した後に開始されたものである。

反訴原告は、この間、市販の頭痛薬や栄養剤を服用し、水枕で冷やして自宅で安静にしていたと供述し(反訴原告本人)、反訴原告作成の陳述書(乙二七)には、それに加え、病院に通院する費用がなかったから通院をしなかったとの記載がある。

国立東京第二病院での初診時における主訴の内容は、田園調布中央病院の治療終了時と概ね変わらないものであること、反訴原告は、田園調布中央病院で復職を勧められた際に、自信がないと回答しており、治癒と診断された後も復職していないこと、田園調布中央病院での検査結果では、これといった他覚所見はなく、自覚症状のみに基づく治療であったことから、治療効果の推移から、ある程度の治療期間で治癒と判断する可能性はあり、いずれにしても、治癒すなわち自覚症状なしとまでは当然にはいえないこと、反訴原告は、反訴被告から損害賠償の内金の支払を受けた翌日に国立東京第二病院で診察を受けていることに照らすと、反訴原告の供述及び陳述書の記載内容は、信用できるというべきである。

そして、この経過と、反訴原告の症状は、田園調布中央病院での治癒の診断後も継続していたと考えられるとの石橋医師の意見を併せて考えると、少なくとも、国立東京第二病院に通院し始めたことは、本件事故と相当因果関係があるというべきである。

反訴被告は、田園調布中央病院で治癒と診断された平成七年四月二七日までの治療が本件事故と相当因果関係のある治療であると主張するが、右の述べた理由により採用できない。

(二) 国立東京第二病院での治療内容について

(1) 握力低下や四肢のしびれなどの神経症状について

反訴原告は、本件事故から約八か月を経過したころから、握力低下や四肢のしびれなどの症状を発症し、その後は、緩解することなく、むしろ、悪化しているといってよいほどであり、事故態様や、事故後まもなくの症状と対比すると、均衡を失するほどに重篤な状態に陥ったといえる。握力低下のみならず、病的検査の結果も、次第に若干の反射亢進を認めるものになっており、脊髄圧迫などの画像所見は認められないものの、反訴原告の神経症状の発症は、自覚症状にとどまらないものといえる。

ところで、この神経症状の発症機序について、石橋医師の意見によれば、頸部挫傷の際の中枢神経、末梢神経及び血管への影響が、四肢のしびれなどを生じさせることはあり得ることであり、経年性の変化が存在したから、そこへ衝撃が加わって発症したということである。

しかし、そうとすれば、むしろ、事故後まもなく症状が顕在化するのが自然であり、右の意見は、比較的軽微な外力によっても神経症状を発症して重篤な状態になり得ることの説明にはなっても、事故から約八か月も経過した時点で神経症状が顕在化したことの説明にはならない。

また、石橋医師は、反訴原告が、反訴被告から訴訟提起されたことが精神的に症状悪化に影響を与えているとの意見も示しており、確かに、反訴被告からの訴訟提起と、四肢のしびれ等を発症し始めた時期は概ね重なるといえる。

しかし、神経症状が出現し始めた後は、愁訴の内容にばらつきがあるわけではなく、先のとおり、病的検査などにおいても、神経症状を裏付ける所見が見受けられることからすると、単に精神的な要因から発症したとは考えにくい。石橋医師の意見も、精神的要因も影響しているというもので、精神的要因に基づく症状であるとまで説明しているわけではない。

その他に、事故後約八か月を経過した時点での神経症状の発症と本件事故との間の因果関係を認めるに足りる証拠はない。

したがって、国立東京第二病院での治療のうち、少なくとも、握力低下や四肢のしびれなどの神経症状の治療については、本件事故と相当因果関係はないというべきである。

なお、頑固な便秘と下痢については、その原因が明らかでないから、本件事故と相当因果関係を認めるに足りない。

(2) 頸部運動制限等について

反訴原告は、国立東京第二病院においても、頸部痛を訴え、通院中も頸部の熱感などが消失せず、後遺障害の診断においても、頸部の運動制限が認められている。

これらの症状は、田園調布中央病院から概ね一貫しているものであるから、本件事故との間の相当因果関係はあるというべきである。

(3) 相当因果関係の認められる範囲について

国立東京第二病院における治療期間中、四肢のしびれ等に関する治療と、頸部痛や頸部運動制限に基づく治療を厳密に分割することは困難である。

したがって、それぞれの症状の内容に照らし、国立東京第二病院での治療費及び通院交通費については、五〇パーセントの限度で本件事故との間に相当因果関係があると判断するのが相当である。

(三) 身体的素因及び心因的要因の寄与について

反訴被告は、仮に、国立東京第二病院における治療と本件事故との間に相当因果関係が認められるとしても、反訴原告の頸椎の頸椎症性変化及び心的要素が、その症状を悪化させたから、それを考慮して大幅な減額がなされるべきであると主張する。

先のとおり、石橋医師は、頸椎症性変化や精神的要因が症状悪化に影響していると説明しており、頸椎症変化の程度は、第五、第六頸椎が合体するほど狭小化しており、反訴原告には、精神科の薬が投与されたり、うつ状態を呈しているとの診断がなされたりしている。そして、事故の態様、田園調布中央病院での治療経過及び症状固定時期を併せて考えると、反訴原告の頸部痛関係の症状は、本件事故による衝撃と身体的素因及び心因的要因が競合して、治療を遷延させる結果となったというべきであり、身体的素因と心因的要因に寄与割合は、四〇パーセントとするのが相当である。

3  後遺障害の有無について

反訴原告は、症状固定時に残存した症状は、自動車損害賠償保障法施行令二条別表の後遺障害等級第七級四号の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当すると主張する。

反訴原告に残存した症状のうち、本件事故と相当因果関係のあるものは、頸部の運動制限ということになる。これについては、これを裏付ける他覚的所見はないものの、頸部痛は、田園調布中央病院での初診時から治療期間、国立東京第二病院での初診時及びその後の治療においても、概ね一貫して訴えていたものである。外傷性の損傷を裏付ける所見が存在しないことからすると、本件事故から約二年を経過した時点においても残存していることについては、反訴原告の素因及び心因的要因が影響していることは否定できないが、本件事故の影響を一応医学的に説明することは可能というべきである。

したがって、自覚症状のみであるが、事故後二年間を経過し、現在もポリネックを装着していることからすると、頑固性を認めることができるから、頸部運動制限については、自賠法施行令二条別表第一二級一二号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当し、自覚症状のみであることを考慮して、症状固定時から五年間の限度で一四パーセントの労働能力を喪失したとするのが相当である(なお、素因及び心因的要因の影響が四〇パーセントであるのは既に述べたとおりである。)。

四  反訴原告の損害額

1  治療費(請求額一二万七一九三円) 八万六一七六円

反訴原告は、田園調布中央病院と国立東京第二病院の治療費として、それぞれ、四万五一六〇円、八万二〇三三円を負担した(乙七~九、一四)。

既に述べたとおり、国立東京第二病院の治療費は、五〇パーセントの限度で本件事故と相当因果関係を認めるから、四万一〇一六円となる(一円未満切り捨て)。

したがって、本件事故と相当因果関係のある治療費は、八万六一七六円となる。

2  通院交通費(請求額一〇万八四八〇円) 五万九二〇〇円

反訴原告は、田園調布中央病院と国立東京第二病院への通院交通費として、それぞれ、九九二〇円、九万八五六〇円を負担した(乙一七~一九)。

既に述べたとおり、国立東京第二病院の通院交通費は、五〇パーセントの限度で本件事故と相当因果関係を認めるから、四万九二八〇円となる。

したがって、本件事故と相当因果関係のある通院交通費は、五万九二〇〇円となる。

3  休業損害(請求額五三〇万〇四五六円) 五二三万五三九一円

反訴原告は、本件事故当時、荏原興業株式会社玉川営業所に勤務してタクシー運転手をしており、本件事故直前の三か月間に、六八万八三七一円の収入を得ていた(甲八の1)。

したがって、反訴原告は、本件事故当時、少なくとも、年間二七五万三四八四円の収入を得ていたということができる。

反訴原告の業務内容に照らすと、頸部痛やその運動制限が存在すれば、働くことは困難であったといえるから、右の基礎収入を基礎として、平成七年二月一七日から、平成九年一月一〇日までの六九四日間の休業損害を算定すると、五二三万五三九一円(一円未満切り捨て)となる。

2,753,484×694/365=5,235,391

4  逸失利益(請求額三九〇七万九四三六円) 一六六万八九三〇円

すでに検討したとおり、反訴原告は、本件事故と相当因果関係のある後遺障害により、症状固定時から五年間の限度で一四パーセントの労働能力を喪失したということができるから、事故当時の年収を基礎収入として、逸失利益を算定すると、一六六万八九三〇円(一円未満切り捨て)となる。

2,753,484×0.14×4.3294=1,668,930

反訴原告は、基礎収入として、平成七年度賃金センサス第一巻・第一表・産業表・企業規模計・学歴計・男子全年齢平均賃金である年間五五九万九八〇〇円を主張する。

しかし、反訴原告の年齢及び事故当時の現実収入に照らして、将来にわたり、平均してそこまでの収入を得る蓋然性があるとは認められない。

したがって、反訴原告の主張は採用できない。

5  慰謝料(請求額一〇九五万円) 四四〇万円

本件事故の態様、原告の負傷内容、通院の経過、後遺障害の内容及び程度など一切の事情を総合すれば、慰謝料としては四四〇万円を相当と認める。

6  寄与度減額及び損害のてん補

原告の身体的素因及び心因的要因が損害に寄与した割合は、四〇パーセントであるから、1ないし5の損害合計額である一一四四万九六九七円から、この寄与割合に相当する金額を控除すると、六八六万九八一八円(一円未満切り捨て)となる。

そして、この金額から、既払金である一一五万五〇五四円を差し引くと、五七一万四七六四円となる。

7  弁護士費用(請求額五四〇万円) 六〇万円

審理の経過、認容額などの事情を総合すると、弁護士費用としては、六〇万円を相当と認める。

第四結論

以上によれば、反訴原告の請求は、不法行為に基づく損害賠償として、六三一万四七六四円と、これに対する平成七年二月一六日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 山崎秀尚)

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